アジア(4)


ラオスへ行こう


旅行日程も残りすくなくなってきた。
さて、今度はどこへ行こうかな。
食の国ベトナムにも行きたかったけど、ビザが高いからやめた。
カンボジアも行ったしな。
残るはラオスだ。
ラオスへ行こう。
・・・。
・・・。
・・・ラオスって、どこだ。

地図を見たら、タイの北だった。
列車で行けそうだ。
ビザは国境で取れるらしい。
時間がないのですぐさま寝台車に飛び乗った。

寝台車で15時間。
ゆっくり眠って目が覚めたら、タイの最北端の町にいた。
ノーン・カーイだ。
町のタクシーでラオス国境へ行く。
途中、用もないのに旅行社へ連れていかれ、ドライバーと喧嘩をする。もちろん勝つ。
日常的なできごとである。
だんだん、慣れてきた。


おじさんに乾杯


ノーン・カーイからメコン川を一本はさんだ、その向こうはもうラオスだ。
アライヴァル・ビザで国境を越える。

国境から町へと向かう乗り合いバスの中で、一人の日本人と知り合った。
父と同じような世代だろうか。
50歳くらいの男性で、名前はMさん。
私達は一緒に宿探しをすることにした。

Mさんは、可愛いオジさんだった。
なんどもタイ東北部を旅行していて、そのために英会話を習っていた。
 「50の手習いで、恥ずかしいんだけどね」
と言ってMさんは、照れながらも、張り切ってフロントとの交渉を引き受けてくれた。
だが、なぜか全く通じない・・・。
ホテルの人が、救いを求めるような顔でこっちを見るから、仕方なく私が身振り手振りで話しをつけた。
Mさんはしばらくショボクレていた。

 「ぼくは癌を患って、去年、手術をしたんだ。」
ビールジョッキを傾けながら、Mさんは語った。
 「ベッドの上でずーっと、旅に出たいなあって思ってた。
  実は何年か前にもノーン・カーイまで来たことがあってね。
  『この向こうはラオスなんだ』って思いながらメコン川を見てたけど、その時は時間がなくてさ。
  今度こそ国境を越えてやろう、ラオスへ行ってやろう、って、そればっかり病院で考えてたんだ。
  夢が叶ったよ。」
Mさんは嬉しそうに楽しそうに、これまで旅したシンガポールや、タイの話を聞かせてくれた。
幸せそうだった。
 「でも家内や娘はね、嫌がるんだ。こんなとこ汚いって」
そう言いながらも、沢山おみやげを買いこんでいた。


やばい!


ランチの後、川沿いを歩いてみた。
Mさんはとても積極的な人で、2人連れの高校生を見つけると
 「ちょっと話しかけてみよう」
と触れ合いを求めていった。
また間のいいことに、その高校生は英語の勉強中だったので、めちゃめちゃな英語どうしで会話していた。
どっちの英語も、私には理解不能だった。
それでも話が弾んでいるのだから不思議だ。

だが私は、突然、気分が悪くなってきた。
理由はわからない。
急激だった。
さっきまで元気だったのに、立っていられないほど体が重くなったのだ。
これはヤバイ。
モンゴルでの悲劇が頭をよぎる。
挨拶もそこそこにMさんと別れると、這うようにホテルの部屋へ戻る。
ベッドに倒れ込んで、意識を失うように眠りこける。

1時間半後、スッキリして目が覚めた。
もう、なんともなかった。
・・・ビール飲んだせいかな。


寝釈迦はどこだ


ラオスの首都ヴィエンチャンは、本当に何もない町だった。
とんでもないド田舎なのだ。
それでも観光案内所へ行くと、いくつかの寺や公園があることが分かったので、その中でも遺跡公園のようなブッダ・パークへ行くことにした。
青空の下に寝そべる、雄大な寝釈迦の写真がきれいだったからだ。
ホテルからはほぼ一本道。
徒歩20分、と書かれていた。

だが。
行けども行けども、ブッダ・パークは現れない。
 「寝釈迦はどこだ!ブッダパークはどこだ!?」
2日もかけて探しまわり、人に尋ねた結果。
 「え、ブッダ・パーク?本気で歩い行くつもりなのか?
  そうだな、ここから30キロはあるよ!」
30キロをそうやったら20分で歩けるというのだ。
観光案内所の嘘つき!


コラートの安宿


ヴィエンチャンから、またバンコクへ戻る。
日本に帰る、最後の移動。

だがバンコクへ直行するのもおもしろくないし、時間も余る。
ということで、タイの東北都市・コラートに寄り道をすることにした。

こんどは、鈍行列車だ。
ニワトリやヒヨコや、大量の荷物をかかえた人々と座りあわせて、ガタンゴトンと6時間。
着いたときにはもう日が暮れていた。
やれやれ。
近づいてきたバイクタクシーに
 「安宿に案内してくれ!」
と頼んだら、一泊500円くらいの宿に案内された。
建物はかなりくたびれていたが、私も負けずにくたびれていた。
トイレとホットシャワー付ならもうなんでも良い気分だったので、そこに決めてとにかく寝ることにした。

しかし、寝ようとして初めて、この安宿の最大の欠点に気がついた。
・・・うるさいのだ。
横が大通りで、騒音がものすごい。
大きなトラックが通ると地響きでベッドが揺れ、風圧でカーテンが揺れる。
窓は閉じているのに、だ。
暴走族みたいなヤツも走っている。
通りの向こうにある学校では、深夜までバスケットボールの練習試合をしており、歓声がきこえてきた。
 「うるさいなー」
と寝返りをうったら、鏡を発見。
えっ、こんな所に・・・長細い鏡・・・寝姿がぜんぶ見える・・・。
安いだけのことはある宿だった。


ピマーイ遺跡


翌日。
寝不足だったが、機嫌をなおして遺跡を見にいくことにした。
わりあい近くに有名な遺跡があるらしいのだ。

バス発着所は混雑していたが、いつもどおり
 「ピマーイ!」
と地名を連発するだけで、おじさん達がよってたかってバスに乗せてくれた。
それも、クーラー付の豪華なバスだ。
快適、快適。
一時間半ほどでピマーイへ着く。

ピマーイ遺跡は「タイのアンコール・ワット」と呼ばれているそうな。
たしかに。
アンコール・ワットのミニチュアみたいだった。
同じクメール遺跡だから仕方ない。
遺跡付近は公園で、芝生が敷き詰められておりとてもきれいだ。
気持ちがよかったので、しばらくボーっとしていた。

楽しく観光したあと、町へ戻ってくるのがイヤだった。
あの安宿に帰るのが悲しかった。
またもや日が暮れている。
宿のまわりは寂しい道ばかりで、店はぜんぶ閉まっていた。
ゴミ漁りをしている少年がいた。
野良猫が悲鳴のような声で鳴いていた。
100メートルのあいだにゴキブリを3回もまたいだ。
なんだか泣きたい気分だ。

キーを取りにフロントへ向かった時、階段の下から子猫がダッと飛び出してきた。
命が懸かってるみたいな逃げ方だった。
あんまり急いだので、角を曲がりそこなって足をすべらし、フロントの台に
 「ゴン!」
と音がするくらい、ハデにお尻をぶつけた。
それでも猫はスピードをゆるめず、裏口まで走っていた。
私が笑い転げていると、もう一匹、さっきのより小さい猫が出てきて、急いではいるのだろうが転ばないように慎重に駆けていった。
この宿も悪くないんじゃないかと思った。


帰る


トラブルらしいトラブルは何一つないまま、1ヶ月が終わった。
平和な一人旅もあったものだ。
まあ、風邪もひいたし、おなかも壊れたけど、あれくらいはトラブルとは言わない。
スリもあわなければ、強盗も見なかった。
・・・道には迷ったけど、それはいつものこと。
のんびりまったり、良い旅であった。
空港で回想にふけっていると、突然、重大なミスに気がついた。
 「大変だ!お土産買い忘れた!」
ほかの人の土産は用意したが、一番お世話になった義弟の分を買い忘れていたのだ。
離陸時間も迫っているのに、空港中を走り回って「食べるもの」を集めた。
これが一番のトラブルだったかもしれない。


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