アジア(3)


寝台列車とキャプテン・オヤジ


夜行バスに懲りたので、ハット・ヤイからバンコクへは列車で行くことにした。
エアコンなし(ファン付)寝台車、上段。
今度は15時間の移動だ。
寝台の下段、つまり 相席となる人は、かなりアブナイ目つきのオヤジだった。
最初は変態なのかと思った。
けれどもやがて、ヘビースモーカーのアルコール中毒なだけで、実はいい人だということが分かった。
彼は自称「キャプテン」なのだそうだ。
昔は大きな船の船長で、ヨコハマに寄航したことがあると言っていた。
晩ごはんに駅弁をおごってくれた。


暇なバンコク


バスと違い、列車ではゆっくり眠ることができた。
目が覚めたらバンコクだった。
排ガスと詐欺師が充満する、喧騒の都・バンコク。
この町はもう4度目だろうか。
今回は私にとってただの通過点にすぎない。
次の目的地、ミャンマーへ行くための通りみち。
私はできるだけ早く通り過ぎたかったのだが、ミャンマーのビザなかなかとれず、結局4泊もするハメになった。

結構、退屈である。
水上マーケットへ行ってみた。
・・・ていのいい土産物屋めぐりだった。
ローズガーデンへ行ってみた。
・・・日本人のオバサマ達に取り囲まれてしまった。
ワット・ポーへ行ってみた。
・・・占いをしたら
 『アナタハ、恋愛ニ向イテマセン』
と言われてしまった。失礼な占いもあったもんだ。
仕方がないから、ネットカフェでインターネットをするか、猫探しをしていた。

あ、そう言えば。
一つだけ刺激的な観光をした。
それは、シリラート博物館。
別名・死体博物館。
標本として陳列された(だが見せしめ的な)死体の数々は、言葉にできないほど強烈だった。
しかし更にショックを受けたのは、
 「話のタネに」
と言って死体を写真に撮っている観光客だった。
同じ日本人として信じられない感性の違いだと思った。
平気な顔で死体を眺めている、現地人の家族連れも凄いと思うが。


ギブミー・プレゼント!・・・ミャンマー


ビルマの竪琴。
軍事政権。
囚われのスーチー女史。
暗いイメージのあるミャンマーは、この1ヶ月の旅のなかで一番印象的な国だった。

タラップを降り、迎えてくれた空港バスには「箱根登山鉄道」と書いてあった。
日本のリサイクル品らしい。

入国審査は簡単だが、次に待ち構えているのは強制両替。
US200ドルを、ミャンマーでしか使えない紙幣に換えることが義務づけられているのだ。
この紙幣は再両替できないから、旅行者にとっては損な話なのである。

ところが、両替所のおばちゃんは早口でささやいた。
 「ギブミー・プレゼント!」
5ドルくれたら、200を100にまけてあげる、と言っているらしい。
 「みんなそうしている」
なんて堂々とした賄賂だろう。
感心しながら5ドル払った。
街中では闇両替が横行していて、食堂に入っても「チェンジマネー?」と尋ねられる。
闇両替はかなりレートが良かった。


パゴーのサイカードライバー


ヤンゴンから、パゴーへの日帰り観光へ行く。

行きに乗ったトラックバスが凄かった。
幌付きピックアップ・トラックを改造した乗り物で、満員になったら出発するのはタイの乗り合いタクシーと同じだ。
しかし、ギュウギュウ度合いが話にならないほどひどい。
座席、床、天井(幌の上)まで一杯になってもまだまだ乗せる。
30センチほどのステップでも窓枠でも、捕まれるところ全てに乗客が隙間なくしがみついている。
そうでなければ満員とは見なされない。
ステップにしがみついた人々は、ほとんど落ちかけだ。
私もそんな風にして2時間ほど運ばれていった。
おもしろかったが、辛かった。

パゴーの観光には、サイカーをチャーターした。
サイカーとは、足こぎ三輪タクシーとでも言おうか。
観光地のほかに、
 「猫のいるところへ連れていってくれ」
と頼むと、ドライバーのマニーは面白そうに笑った。
そして猫をたくさん飼っているお寺と、パゴーでも有名な猫屋敷へ連れていってくれた。
この猫屋敷・・・と言っても20坪ほどの小さな家なのに、猫が40匹いるんだそうな。
足場がないほど猫だらけ。
階段にも猫、お釜の横にも猫、棚にも猫、猫、猫・・・。
私は本当に猫が好きだが、この壮絶なありさまには、ちょっと絶句してしまった。

マニーは、私と同程度の英語が話せた。
話し好きな人で、カタコト英語でいろんな話を聞かせてくれた。

「この国は貧しい。
 でも、人々はハッピーだ。みんなグッドスマイルだ。
 貧しいのは政府のせいだ。
 子供たちはみんな働いている。 小さな赤ん坊までだ。
 学校は高すぎて、ほんの少数の子供しか行けない。
 それは(と声をひそめて)、政府がコントロールしているからだ。
 教育を受けた人は政府に反抗する。闘おうとする。
 だから政府は、子供に教育を受けさせないのだ。
 現在の子供達は、おなかがいっぱいであれば幸せだ」

TVではよく聞く話でも、現地で聞くとリアルさが違った。


駅でも・・・


帰りは、列車でヤンゴンへ帰ることにした。
だが列車は遅れており、いつ到着するか分からないと言われた。
せめて切符を買おうとすると、
 「列車が来るかどうかも分からないから、切符は売れない」
とまで言われた。

結局、列車は1時間半遅れで到着した。
切符を買うのにパスポートが必要だった。
まあ、これは現地人も身分証を見せていたから、そういうきまりなのだろう。
だが腹の立つことに、外国人は米ドルでないと売れないと言う。
 「2ドルだ」
仕方なく2ドル払うと、男は続けた。
 「ギブミー・プレゼント」
 「なんのことだ」
 「プレゼント、プレゼント。俺は駅長だから、賄賂をくれ」
どうしようもない国である。
駅長というのがウソだとは判っていたし、賄賂を払う理由もないので、意味がわからないフリをしてとぼけてやった。

日本人に興味を抱いた男が、「話がしたい」とやってきた。
彼は教師で、英語が通じた。
 「この国をどう思う」
と彼が尋ねるので、私は
 「貧しいが、ハッピーで、グッドスマイルだ」
とマニーの言葉をなぞって言った。
すると男は首を振って、
 「違う。
  人々はどうしようもなく貧しくて、不幸だ。
  私に言わせれば、ミャンマーには光がない。真っ暗だ」
と窓の外を指差した。
その時はもう日が沈んで、やわらかな闇に覆われていた。
村があるはずだったが、停電で何も見えなかった。
この国では停電は普通のことなのだ。
闇で見えないけれど、線路近くで人の叫び声が聞こえてきた。
ペットボトルをくれ!と叫ぶ人たちの声だ。
子供からお年寄りまで多くの人たちが、電車から投げ捨てられるゴミを拾って生きているのだった。
窓の外は、本当に真っ暗だった。


友達


列車を待っている間に友達ができた。
私と同世代の、夫婦連れだ。
彼らの英語はミャンマー一難解だったが、とくに奥さんの方が私に興味津々だった。
持っていたガムをくれ、列車の席を教えてくれ、茹でとうもろこしを買ってくれ、うずら卵の殻をむいてくれ、夕日にみとれていると窓際の席を替わってくれた。
そして通じない英語でずーーーっと何か話しかけてきた。
 「この列車はいくら払った?」
と聞かれたので
 「2ドル(約360円)だ」
と言うと、彼らはかなり驚いていた。
現地人料金は、日本円で10円にも満たなかったからだ。

ヤンゴンへ着くと、晩御飯も一緒に食べようということになった。
列車の中でさんざんご馳走になったから、今度は私が何か奢ろうと思ったのだが、それすらも出させてくれなかった。
暗くて道がわからないと言うと、ホテルまで送ってくれた。
 「宿は、一晩いくらだ?外国人は高いんだろう。」
 「高いよ」
 「そうだろうな・・・5ドル位か?」
 「いや、10ドルだ」
 「え、なんだって?」
 「10ドル」
 「え?え?え?」
あまりの高額に聞き間違ったと思ったようだ。
本当に10ドルだと分かると、彼らはほとんどギョッとしていた。
そしてホテルのフロントで、「ここは本当に10ドルなのか」と尋ねていた。
本当だと分かると、なんだか肩を落として失望さえしている雰囲気でさよならを言った。
10ドルのホテルが、私と彼らの世界を隔てているみたいだった。
でも、
 「忘れないで。私達はトモダチ」
奥さんは念を押すように何度も言った。


余談


ミャンマーからまたしてもバンコクに戻る。
ここで初めて日本料理店に入ってみた。
白いごはんがこんなに美味しいとは。
感動してしまった。


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