妹から聞いた話がある。
2人の女の子が、べつべつにアンコールワットを訪れた。
1人は遺跡に感動してずっと見ていたいと思い、もう1人は、「ただ石がゴロゴロしてるだけ」と言った。
私はどちらだろう、と考えた。どちらの感想に近いんだろう。知りたくなった。
それだけの理由で、アンコールワットを見に行くことにした。
目的地はシェムリアップという町だ。小さいが、カンボジア随一の観光拠点だけに国際空港があるらしい、立派なものだ、と思っていたら、案の定プロペラ機。しかも46人乗り。…バスじゃないんだから。
飛行機はバスみたいなプロペラ機だったが、空港はバス停よりもうちょっと大きいくらいだった。
入るとすぐにビザのカウンターがある。
カウンターに並んだのはほんの数人、流れ作業ですぐに取れた。
入国審査ではさすがに混む。
日本のおじちゃんおばちゃんがごったがえし、さながらJRの改札口のようだったが、その後が早かった。
よっこらしょとリュックを下ろしてパスポートをしまうヒマもなく、やけにインフォメーションのお姉さんがやってきて、
「町へはタクシーで行く?それともバイクタクシー?」
と聞いてきた。
電車とかバスとかいう選択肢はないらしい。
そういうものは都会に行かないとないんだろう。
安ければいいので、バイクタクシーと答える。
バイクタクシーのチケットを1ドルで買い、外へ出ると、運ちゃんが大慌てで走ってきた。
それが、この数日間よくも悪くもお世話になるK氏であった。
K氏の英語は私とどっこいどっこいのレベルだったが、なかなか感じのいい人だったので、明日から3日間、遺跡巡りのために貸し切りで働いてもらうことにした。
・・・ほんとうに、私は人を見る目がない。
観光1日目
翌朝、目が覚めたとたん、ちょっとしたことを思い出した。
リコンファームを忘れている。
着いたとたんに帰りの飛行機のことを考えないといけないなんて、せわしない話だ。
航空会社が営業を始める7時半頃ホテルのフロントへ行って、電話をかしてください、リコンファームしたいんです、と頼んでみた。すると、フロントの女性はちらっと電話機に目をやり、
「今はつながらないので、9時半以降にきてください」
と言う。…なんでつながらないんだ。
仕方がないから、公衆電話をさがしてぶらっと町に出る。
少し歩くと両替屋があった。「TELEPHON」の看板も出ている。千円ほど現地のお金に両替えし、電話をかけたいと言ってみたが、又してもつながらないと断られる。なぜだー!?
さらに歩くと旅行会社が見つかり、ここでなんとかリコンファームすることができた。やれやれ。たった電話一本のことなのに時間をくったなあとため息をついていたら、頭上の電線をサルが走っていった。
そのあと朝ゴハンに、いかにも近所の人たちが団欒している屋台を見つけて入りこんだ。
かっぷくのいいおかみさんは、私を見るとうれしそうに微笑んで
「ここへお座り」
とプラスチックのイスを出し、イスとテーブルとお箸をティッシュ(というかトイレットペーパー)でふいてくれた。
英語はあんまり通じそうにない。
通じないのだったら何語でも同じだから、私はそのへんの食べ終わったおわんを指して
「あれを下さい」
と日本語でたのんでみた。
出てきたのは麺だった。
具沢山のにゅうめんみたいだ。
意外に薄味だったけれど、てんこもりのレタスがとんでもなく苦かい。
その屋台にはテレビが置いてあり、西遊記みたいなドラマをやっていた。大人も子供もくいいるように見つめている。わたしも食べながら見ていたが、番組が終わったのでそこを出た。
ドライバーK氏のバイクで遺跡をめざす。
遺跡公園の入り口で3日間のパスを買う。
気持ちのいい並木路を走っていくと、大きなお堀が見えてくる。
「あれはアンコール・ワットだけど、昼からの方がいい。朝はアンコール・トムに限る」
ということで、最初に行ったのは、アンコール・トムの中心、バイヨンだ。
一目見たとき素直に感動をおぼえた。黒くて大きくて複雑で、こわいくらい威圧感がある。寺というより要塞のようだ。
迷路のようにややこしい中を登っていくと、中央のお堂に仏様がまつられ、井戸のように暗く高い天井はコウモリでうめつくされていた。
バイヨンに限ったことではないが、カンボジアの遺跡は意外なほど静かだ。
観光客でごったがえしていてもその声はどこか遠いところへ吸いこまれていくような気さえする。
周囲が樹海で、車や都会の喧騒がないからだろう。
アンコール・トムの中にはこまごました遺跡ががたくさんあり、4時間では短すぎた。
しかも、印象に残っているのは遺跡ではなく、ガレキの山を前にした少年の、
「この仏像はポル・ポトに壊されたんだよ」
という言葉だった。
昼からは、かの有名なアンコール・ワットへ。
ものすごく感動するか、ただ石が転がってるだけと思うか。どちらだろうとドキドキしながらのご対面。
想像していたよりも小さい。が、姿のよさは絶品だ。
四方をとりまく回廊の壁にはレリーフがほどこされていて見事だった。
ぐるっと見て歩いているうちに、暑いし、疲れたしで、途中で座りこんで寝てしまった。
日陰になった回廊には、堀の方から涼しい風がふいてきて、気持ちがいい。
…たいして感動もしない、でも石ころだとも思わない。
昼寝するにはいい場所だ。
目を覚まして歩きつづけると、現地の考古学青年にアンケートを頼まれた。アンケートは日本語なので簡単だ。
アンケート用紙を返すと、考古学青年は、
「ゴッゴッ、ゴッキウリョク、ゴキヨ…ゴッ…」
と、えらく詰まっている。
何が言いたいんだときくと、彼ははずかしそうにノートを見せて、日本語勉強中なんですと指差した。
それは「ご協力ありがとうございます」のフリガナだった。
最初は正しく「GOKYOU(きょう)RYOKU」と書かれていたにもかかわらず、わざわざ青ペンで「GOKIYOU(きよう)RYOKU」と間違った日本語で添削されている。
「先生に直された」 と彼は言った。
…その先生に習うのはやめた方がいいぞ、青年よ。
夕食にカンボジア料理の店に連れていってあげよう、とK氏が言う。
ついて行くべきではなかったかもしれない。
でも、一人で食べる食事はまずいものだ…。
そこは居酒屋だった。
安っぽいクリスマス飾りのような豆電球がまたたき、カンボジア演歌が流れている。
テレビ画面の俳優は神田正輝をAV男優にしたみたいな感じだ。
テーブルの下には犬とニワトリが走りまわっている。壁にはトカゲが2,3匹。
出てきたのは鍋だった。とき卵をかけた肉や団子や野菜類を入れる。ダシはかなりうまい。
私達は「アンコール」という銘柄のビールを氷で割って何度も乾杯した。
薄いから、アルコールがダメな私でも飲みやすかった。
そういえばケニア人はビールを温かいまま飲んでいたっけ。ビールの飲み方もいろいろあるもんだ。
ホテルに帰ると、フロントの人が私の顔を見て笑った。
「おや、酔ってるね!」