ケニア (1)


 アフリカへ行こう!


 「2000年になったらアフリカへ行こう!」
 バイト先の友人・ナオミと、そう約束していた。97年頃のことだったと思う。
 まだ若かったし、その頃はノストラダムスの大予言を信じていたので、2000年も21世紀も遠く感じられたものだ。
 だがノストラダムスは嘘つきだった。
 いつのまにか1999年の7の月は終わっており、もう9月になっていた。
 あと3ヵ月で2000年だねえという話になった時、ナオミがあっと叫んだ。
  「アフリカに行かないかん!」
 ということで、できるだけ安いモニターツアーを探した。
 本当はキリマンジャロやセレゲンティにひかれたのだけど、そんなお金はなかった。
 一番安いのが、インド経由でいくケニアだった。
 もちろんツアー。
 といってもたった6人、しかもみんな年齢が近く、ほんわかといいムードのツアーだった。


ケニアへの遠い道


 ケニアは遠い国だ。関西人なのに成田発着のツアーだからなおさら遠い。
 飛行時間は16時間だが乗り継ぎも悪い。
 目的地であるナクル湖へたどり着いたのは、なんと3日目の午後だった。
 つまり、全日程8日間のうち半分以上が移動で、観光なんて4日もないことになる。
 普通、アフリカのツアーといえば短くて9日から11日のはず。
 そこを無理に安いツアーを選ぶから、こんなことになってしまうのだ。
 それでも意外に充実感があったのは、アフリカの自然のすばらしさのお陰だろう。
 飛行機は、悪名高きエア・インディア。
 私の連れのナオミは、これまで欧米旅行が専門でエア・インディアは初体験だから、
 「これはもうカルチャーショックやわ」
  とこぼしていた。どんなだったかというと。
 ・ 機内食は、ほぼ全回、カレー。しかも極辛。(辛いもの嫌いなナオミは「食べるものがない〜」と半泣き)
 ・ スチュワーデスは全員オバさん。しかも、かなりごつい体型。(女子プロレスラーの団体と言ってもいいかも。声をかけるのが怖いので、飲み物も頼めない…)
 ・ すべてにおいて、なんとなく汚い。
 ・ 食事の時間に眠っていると、ごっついスチュワーデスにバンバンと肩を叩いて起こされる。
 とにかく怖い飛行機である。

 乗り継ぎが悪く、初日はインドのムンバイ(ボンベイ)で降りて1泊しなければならない。
 預けた荷物はケニアまで返してもらえないが、乗り継ぎのために空港で確認するようにと言われた。
 裏道のような狭い通路を連れていかれ、ジェット機のしっぽの下のようなところに、スーツケースが山のように積んであった。
 「この中におまえの荷物はあるか?」
 と聞くので、山の中から探し出してサインをした。ナオミのも見つかった。
 だが、同じツアーの人のスーツケースがひとつ、どうしても見つからない。
 血眼になってみんなで探したが、最後まで見つからなかった。
 かわいそうに、彼女のスーツケースはどこまで旅をしているのやら。
 だが当の彼女は、そんなに落ち込む様子もなく
  「まあ、よくあることだし〜」
 と呟いていた。動揺の裏返しかとも思ったが、本当になれているらしい。
 さすが、アフリカまで来る旅人は経験豊富のようだ。


 インド経由


 さて、空港を出たとたん、無邪気な少年や哀れっぽい女の乞食が「おめぐみを!」とやってくる。
 あまりにも汚くて、ちょろちょろ動くものだから、ナオミが思わず「犬かと思った・・・」と呟いた。
 ホテルに着いたのは夕食後だったが、カレー責めにあってほとんど絶食状態だった私とナオミは、部屋に入るなり、ルームサービスで食べ物を注文していた…(これはおいしかった)。
 なにしろ久しぶりのインドである。
 この活気、生命力、むし暑さ、におい、子供の多さ、人間の多さ、貧しさ、騒がしさ、哀しさ、そして力強さ!
 道には、黄と紺のオートタクシーと牛が入り混り、ぼろをまとった子供達が焚き火を囲んでいる。
 赤い街頭の色、スパイスの店、TVの中では男女が歌いながらくねくねと動き、回り、笑いながら踊っている。
 またいつか来よう、ゆっくりと。

 翌日、再びエア・インディアに乗ること6時間。やっとケニアの首都ナイロビに到着だ。
 ガイドのサイモンが出迎えてくれた。
 初めて訪れる黒人の国。
 強い陽射しに黒光りする肌、目がさめるような原色のスカート、不思議なちりちり髪。
 それに皆とても大きい。私はもともと小さいけれど、いつもより背がちぢんで、色白になっった気分だった。   
 アフリカ最初の夜。ガイドのサイモンが、
 「レストランでアフリカン・バーベキューをお楽しみ下さい」と言いった。
 「キリンやシマウマ、食べてきてくださいね〜」
 …キ、キリンさんを食べるのか…。
 残念ながら(?)そういった面白そうなお肉は全部売りきれだったが、レイヨウの仲間やカモシカ、それとワニの焼肉にはありついた。
 「これほんとにクロコダイルなの?」「焼き鳥って言われてもわからないね」
 「チキンをワニだって言って騙してるんじゃないの?」
 評判はいまひとつだったが、まずくはなかった。


ピンク色の悲劇


レイク・ナクルへ

 次の日。ナイロビを出てナクル湖へ向かう。
 仕方のないことだが、ツアーなので、途中で何軒もの土産屋に連れていかれる。
 私は、一人で店の周囲をぶらぶらして時間をつぶしていた。
 「ヘイ、アーユー、ジャパニーズ?大丈夫、アフリカ人は怖くないよ」
 声をかけてきたのは、土産物を作る木彫り職人達でした。
 「どこから来た?トウキョウか?いつこっちへ着いた?仕事は何だ?」
 「学生です。日本史を勉強してます」(面倒だからいつもこう答える)
 「そうか!じゃあ聞くけど、日本人は一体どこから来た?日本の文字は?文字文化が始まったのはいつごろなの?」
 文字文化って…!埃まみれの職人達からとびだした質問は、びっくりするほどハイレベルで、私はたじたじとなってしまった。
 彼らはとくにルーツというものに関心を抱いているのだろう。

 …ナクル湖。
 その名を知らない人でも、たくさんのフラミンゴでピンク色になった湖、といえばテレビCMなどで見たことのある人は多いはず。
 このツアーのメインともいえるナクル湖は、ナイロビから車で4時間ほどいった所にある。
 宿泊するロッジは、ナクル国立公園のすぐそば、というよりほとんどその中にあったと言うほうがいいかもしれない。
 ロッジに到達するまでの道のりが既にサファリだった。
 シマウマ、インパラ、ウォーターバック、それに白サイ。
 写真かせいぜい動物園でしかお目にかかれない動物たちが、目の前で生活している。
 しかもちっとも怖がる様子もない。私は狂ったようにシャッターを押した…。
 ロッジのレストランは外にもテーブルがあり、草原を見ながら食事をとることができた。
 驚いたことに、その目と鼻の先の原っぱで、野生動物たちがのんびり草を食んでいる。(レストランと草原の間には電流を通した柵があった)
 人間のような表情をうかべたバブーン(ヒヒ)やシマウマ、バッファロー、小鳥の群れ。
 みんなゆったりと何かを食べたりくつろいだりしている。とても美しい光景だ。
 嬉しくて、食事どころじゃなかった。

エレメンタイ湖の悲劇

 夕方、いよいよサファリに出発だ!
 おめあては、もちろんピンクのフラミンゴ。
 だが、ガイドに、
 「この季節はフラミンゴは少ないです」
 と言われ、覚悟はしていたのだが。
 それはあまりにも寂しい光景だった。
 だだっ広い湖に、たった数十派のフラミンゴが固まっているだけなのだ。
 フラミンゴってたくさんいるとピンク色に見えてきれいだけれど、数が少ないと、ただのみじめに痩せた鳥なのだ。
 何万というフラミンゴが湖を埋め尽くし、いっせいにとびたつ…というイメージとはかけ離れている。
 折りしも夕暮れどき。天気も悪かった。
 灰色の雲が空を覆い、寒々とした風が、切なくものがなしい雰囲気を演出していた。
 「動物のことだから、仕方ないよね」
 あきらめるしかない、と思いました。その時は。
 次の日、ナクルを出発して30分も行かないうちに、歓声があがった。
 「見て!あのピンク!フラミンゴ!」
 丘の上から、ピンク色に染まった湖が見渡せた。テレビで見たとおりの、フラミンゴで埋め尽くされた湖。
 でも、あまりにも遠かった。
 「あれはエレメンタイ湖です」
 ガイドがすっとぼけて言った。「フラミンゴ、ナクル湖から移動したのです」
 「あそこへ行けないの?」
 「だめです。道がありません」
 不幸なことに私達は知っていた。
 同じ会社でも、料金の高いツアーに参加している人達には出発前にこんなFAXが送られてきていたのだ。
 『宿泊と観光予定が、ナクル湖からエレメンタイ湖へ変更になりました』
 ナクルにフラミンゴがいないことは周知の事実だったのだろう。
 だからこそ高いツアーはエレメンタイ湖に変更になった、だけど安いツアーは貧相なナクル湖で我慢しなければならないのだ。
 「本当は、あれが見たかったんだよね…」
 「お金の問題か…」
 ナクル湖しか知らなければ「残念だったね」ですむことが、ピンクのエレメンタイ湖を見てしまったばっかりに「悔しい」「哀しい」「金返せ」という憤りになっていったのだ。
 貧乏って哀しい。


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