モンゴル (1)


ある意味、一番強烈な印象の旅行だった。
そして情けない旅行だった。
体をこわしてぶっ倒れたのである。
もともと体は強い方ではないのだけど、あの時は、ちょっと死ぬかもと思ったくらいひどかった。
ツアーに一人参加していたので、まわりの人にはいっぱいいっぱい迷惑をかけた。
ごめんなさい。
・・・だがまあ、いい経験だった。


  草原へ到着


ツアーの出発日は、23歳の誕生日を迎えた、その次の日だった。
「もう1年待ち!絶対に安くなるから!」
旅慣れた友人にはだいぶ引きとめられたが、どうしても今行きたかった。

ウランバートル到着が、朝の3時半。
モンゴルで初めてみたものは月だった。
空港からホテルまでの道のりは、炭を流したような景色に時折背の低い信号がとぶくらいで、何も見えない。
ホテルに着いてやれやれと荷物を下ろしたとき、窓から月が見えたのだ。
かがやく真珠色、外側はブルー。
見たことがないほどきれいな月だった。
ぼんやりとみとれていたら、夜があけた。
・・・あっ、寝るの忘れてた!
と、慌てた。

翌朝、プロペラ機で草原へ向かう。
モンゴルでは、草原こそが観光地なのだ。
ホテルの代わりに、ゲルが立ち並ぶツーリストキャンプがある。
ゲルとは遊牧民の住むテントだが、つくりは観光客向けでも代わらない。
ベッドが赤で統一されているなど案外きれいだし、お湯の入ったポットまであった。
 「あ、お茶いれて飲もう」
と同室の女の子がポットを開けたが、
 「・・・毛がいっぱい浮いてる」
と言ったので誰も飲めなかった。
馬の毛だろう。
馬は、草原のどこにでもいた。

キャンプの裏になだらかな丘があった。
奈良の若草山みたいな緑の丘だ。
同じツアーのおじさんと登ってみると、頂上にゲルがあり、子供たちが駆けよってきた。
初めは2人だったが、どんどん増えて5、6人になった。
みんな兄弟らしい。
写真に撮ったが、一番チビの女の子が可愛くてやんちゃで、おそろしく元気だった。
ずーっと走り続けている。
私たちもちょっと走って追いかけてみたが、すぐに息切れがしてしまった。
 「高山病になりそうや」
とおじさんが言った。
・・・そうだった、ウランバートルでも海抜1300mほどあり、ここは高原なのでもっとあるのだった。
ぜいぜい言っていると、可愛いチビの女の子が、持っていたチーズをひとかけらくれた。
黒く汚れ、使い古した消しゴムみたいなチーズだった。
それでも彼女は大事なおやつを分けてくれたのだ。
ありがたく頂くと、ものすごく酸っぱかった。


まぼろしの丘、まぼろしの星


観光のあと、夕方、おじさんと再び散歩にでかけた。
 「あの丘を目指そう」
とおじさんが言う。
キャンプの南方、草原の向こうに見える、低い丘を目指すのだ。
出発したのが8時。
といってもまだ日が高い、真昼のような明るさだ。
私達は元気に歩き出した。
モンゴルの草原。
どこまでも広がる草の海。
どっちを向いても地平線だ。
風がごうごうと吹きわたって草がなびいている。
人工的なものは、本当になにもない。
なんにもないけれど、鳥や虫や、小さな生き物たちで満ちているのがわかる。
人間の営みも、その生き物たちのひとつにすぎないのだ。

こう広いと、どこまでも歩きたくなる。
歩け歩け。
夏なので、太陽はなかなか沈まない。
9時をすぎてやっと地平線に近づいてきたお日様は、赤色ではなく、てらてら光る白銀の玉だった。
玉のまわりは金色だ。
玉から放たれる光が、何千本の金銀の矢になって大空に広がる。
光の矢は草原をつつみ、私達を貫いて、地平の向こうへと達する。
遠くに浮ぶ雲はぶどう色になり、それから深い赤ワインの色へ変わる。

・・・詩的な気分になってしまった。
でも、それくらい美しかったのだ。
その一方で、冷静に考えなければならないこともあった。
私はおじさんに指摘した。
 「目指して歩いてるあの丘・・・あれ、丘じゃないかも」
 「そういえば、ここも登り坂のような気がするな」
それは、だだっ広い草原がゆるく傾斜して上っており、それが遠目には丘に見えるのだった。
つまり、私達は存在しない丘を目指して歩きつづけていたのである。
 「・・・帰ろうか」
草原のど真ん中で日が暮れると、きっとものすごく怖い。
帰り道は、いやに遠かった。

夜のお楽しみは、星である。
満天の星空。降るような星空。いままで見たことがないくらいたくさんの星人々。
それを期待していた。
だが、すばらしく不運なことに、その夜は満月だった。
月の美しさは前夜のうちに確認済み。
こうこうと月は照り、星を見るには明るすぎたのだ。
というか、昼間のように明るかった。
北斗七星とオリオン座くらいしかわからなかった。
 「うちの家からでも、もうちょっとたくさん見えるよ」
と誰かが言った。
仕方がないのであきらめて寝た。
・・・ゲルのベッドはとても小さい。
ひとり、落ちた


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