モンゴル (2)
草原2日目。
民家、つまり遊牧民のゲルを訪問する。
ゲルとそこに住む人々は、来る者を拒まない。
見知らぬ客でもごく自然に受け入れてくれる。
私達も、馬乳酒で歓迎してもらった。
馬乳酒というのは、文字通り馬のお乳でつくった酒だ。
添乗員さんに、
「口をつけるだけにして下さいね」
と言われ、一口コクンと飲んだだけなのだが。
・・・意外に、美味かった。
訪問したもう一軒のゲルでは、ラクダの乳のチーズとヨーグルトが出された。
これは、またとないほどひどい味だった。
・・・実を言うと、この日のことはよく覚えていない。
翌日の強烈な記憶にかき消されている。
大事なことは、2日目に馬乳酒を飲んで、おいしかった、ということだ。
悪夢の3日目
一旦草原を去り、モンゴルの首都・ウランバートルに向かう朝のことだった。
ゴビの空港で突然、猛烈な吐き気におそわれた。
あまりにも急だったので、
「うわっ、吐くかも!」
と思わず叫んだ。
びっくりしたのは同じツアーの人たちだ。
大慌てで吐き気止めの薬(チュアブル)を探してきてくれる。
私はお礼を言う余裕もなく、貪るように薬を飲んだ。
・・・すると、薬が苦かったので、更にキモチが悪くなってしまった。
「トイレトイレ、トイレはどこだ!」
口を押さえながらたどり着いた野外トイレは、めちゃめちゃ不潔で臭かったので、更に更にキモチ悪くなった。
「もう、だめだー!!」
そのとき、胃の中で薬がとけはじめた。
こみあげていたものが一気に引いて、信じられないくらい楽になった。
「助かった」
本当にそう思ったのだ、その時は。
プロペラ機がどんなに揺れたかは知らない。
離陸する前に眠ってしまったからだ。
ウランバートルへ着くと、ホテルでチェックインだけして休む間もなく市内観光へ。
その直前、またもや気分が悪くなり、今度は吐いてしまった。
だが一度吐いてしまうとすっきりするものだ。
吐き気以外に悪いところはないし、今度こそ終わりだろうと思って、観光バスへ乗りこんでしまった。
・・・馬鹿だった・・・。
もちろんそれは、終わりどころか、始まりだったのだ。
もう、だめだ
最初の観光は、巨大な恐竜の化石があるという博物館。
だが、私は化石を見ることはできなかった。
私が見たのは入り口と、いくつかの模型とはく製、それから事務所のソファだけだった。
本日3度目の吐き気に襲われ、博物館の事務所で休ませてもらったのだ。
茶色いビニール張りのソファに沈み込み、ウエウエ耐えていると、民族衣装のおばあちゃんがやってきて、
「かわいそうにかわいそうに、よしよし」
とか言いながら、頭や背中をなでてくれ、おまじないみたいなのを施してくれた。
おばあちゃんの温かい手に慰められ、思わず泣きそうになったのを覚えている。
でもそんな事では治らなかった。
一人でホテルに帰り、本格的に寝こむ。
この辺から、記憶が断片的になってくる。
1時間半、1時間、40分、30分・・・間隔をどんどん短くしながら、吐きまくった。
下痢も始まった。
死ぬかと思った。
様子をみにきたホテルマンが、私を一目みて、
「こりゃヤバイよー!」
とモンゴル語で叫び、医者を呼んできた。
やって来たのは女医さんだ。
恰幅のいい、迫力のあるおばさん医者だ。
おお、頼れそう。
はっきり言って怖い。
英語は通じるようだが、「下痢って英語で何だっけ」なんて考えるほどヒマじゃない。
日本語で病状を説明する。
人間、死にそうな時は何語でもいいのだ。
だが、
「(治療費の)25ドルありますか」
と言われた時には、お金と一緒に保険の書類を差し出していた。
現地の医者のサインがあれば、あとで保険がおりるのだ。
人間、死にそうな時にもお金は大事なのである。
最悪の夜
熱が高かったのだろう。
入れかわり立ちかわり、人が現われては消える。
すべてがおぼろだ。
だが、深夜までガイドさんが付き添ってくれ、添乗員さんに至っては寝ずに看病してくれたのは分かった。
ありがとうございます、、迷惑をかけてすみません、と謝ってばかりいたが、なにしろ体が言う事をきかない。
私はまるで赤ちゃんのように看護されていた。
目覚めるたび、誰かがスプーンで薬を押しこんでくれる。
薬といっても、漢方薬みたいな生ぬるい甘い水だ。
これを飲むとまた吐き気がもどってくるから、性質が悪い。
朝だか夜だか分からない頃、また女医さんが来た。
「脱水症状が激しい。入院した方がいい」
「嫌です」
と私は言った。
ワガママな患者である。
インドで友達が倒れたことがあったが、その時と比べても、この国の医療技術が信用ならなかったのだ。
「入院は嫌です。お願いだから、抗生物質をうってください」
そこで女医さんは、やっと科学的な治療を施してくれた。
お尻にぶすっと注射をうったのである。
それから私は、ポカリスエット(日本から粉末を持ってきていた)を頑張って飲んだ。
脱水症状には効果があるはずだ。
甘い薬か抗生物質かポカリか、何が効いたのかわからないが、とにかくその後はぐっすり眠り、吐き気も次第におさまっていった。
話は前後するが、一人でホテルに帰り、どんどん症状が悪くなっていた頃のこと。
鏡にうつった自分の姿を見て、思わず笑う。
マンガみたいに痩せこけている。
横に「げっそり」とか書いておきたい位だ。
顔なんか、青線が何本も入ってちびまる子状態。
・・・その時、部屋のTVから、知っている声が聞こえてきた。
ホテルのTVには衛星放送が入っており、NHKがリアルタイムで見られるのである。
それは歌番組だった。
一路真輝が、きれいな声でうたっていた。
言葉の通じない国で、倒れて、心細くて、どうしようもない時、モンゴルのTV画面にいっちゃんが現われた。
どんなに嬉しかったか、到底言葉では表せない。
悪いけれども、ツアーの人どのより添乗員さんよりなじみのある顔、十何年も見てきた顔、大好きなあの声、なつかしい、いっちゃんだ、一路真輝だ!!
・・・だーっと涙があふれてきてしまった。
負けないで、頑張って、治そうと思った。