3月4日。
ヴァラナシから、寝台列車でコルカタ(カルカッタ)へ行く。
コルカタ以降はバンコクへ、そして日本へと、飛行機のチケットは手配済みだった。
つまり・・・もう、帰り道なのである。
これが最後の陸路移動。
私の居場所は3段ベッドの一番上だ。
よっこらしょとハシゴをのぼると、頭の真横に扇風機があった。
見晴らしがよくてなかなか快適である。
駅へ着くたび、狭い通路をひっきりなしに物売りが行き交う。
「チャイコフィー、チャイコフィー、チャイコフィー」
歌うように通りすぎていくのは紅茶(とコーヒー)売りだ。
朝ごはんのパンや子供向けのぬいぐるみ、櫛とライターのセットまで売りにくる。
夜には卵売りがきて、同じ列車になった日本人のK君がひとつ買った。
赤く怪しげな塩がふってある。
「いや、これウマイよ! もみじおろしじゃなくて、もみじ塩」
ピリ辛いゆで卵をもぐもぐやりながら、
「あーあ、帰るんだよなあ。
あと何日かで家の風呂に入れて、明太子食えるんだよなあ」
K君はたまらない顔で言った。
彼もコルカタから日本へ帰る予定だった。
二度と戻らぬ青春を賭け、何年にもおよぶ旅をして、帰る列車に乗っていた。
夕暮れの景色が車窓を流れていく。
レンガ塀や小さな家や、藪や森や煙突や、池や田んぼやヤシの木や、犬や牛や人や。
ピンクのサリーのお母さんと、哺乳瓶かかえた子供のむこう。
列車の窓のむこうにインドが流れていく。
世界が流れていく。
そして気づくのだ。
私は旅をしていると。
人はみんな長い旅の途中にあるのだと。
いつかガンガーへ帰るために。
「チャイコフィー、チャイコフィー、チャイコフィー」
紅茶売りがまた通りすぎていく。
ななめ向かいの席ではアメリカ人の女の子が夕日をじっと眺めている。
彼らはどこへ行くのだろう。
私はどこへ行くのだろう。
私はインドが嫌いだ。
人が多いし、がめついし、汚いし。
でも、きっとまた来てしまうのだろうな。