ウズベキスタン(1)



『サマルカンドの赤いばら』


  行こうよ行こう、サマルカンドへ。
赤いバラの咲く園へ 麗しい姫の住む城へ
さあ行こうよ、行こうよ。
  
私のウズベキスタンへの旅はこの歌からはじまった。

宝塚でやっていたミュージカル『サマルカンドの赤いばら』。
砂漠のオアシス都市・サマルカンドを舞台に、お姫様や盗賊や魔法使いが活躍する、たわいもないが楽しいファンタジー作品だった。
私はこれが大好きで、ビデオに録って飽きるほどくりかえし見たものだ。セリフもぜんぶ覚えた。宝塚に通い出した原点の作品だと言ってもいい。
舞台をつくった大関先生は当時、こう記していた。
 「旅行中、ソ連領内なので入ることはできなかったが、サマルカンドという町があると聞いた。たくさんのバラが咲き乱れる、美しい町だそうだ」
それで私は、その町が実在することを知った。
サマルカンドの赤いばら。
当時、私は13才。

1991年にソ連は崩壊した。
サマルカンドのあるその国は、ウズベキスタン共和国として独立した。
それからも外国人の旅行は厳しく制限されていたが、ここ数年でかなり自由に旅ができるようになった。
今なら行ける。
私は、自分の足で、あのサマルカンドへ行くことができるのだ。
しかし期待が大きい分、ためらいもまた大きかった。
ビザを取るのもややこしい。英語だって全然通じないという話だ。私みたいなのがフラっと行って大丈夫だろうか。いつも即断即決で航空券を取ってしまう私が、めずらしくためらっていた。
決め手となったのは母の一言だ。
 「人生、いつ何があるか分からない。行けるうちに行っておきなさい。」
『サマルカンドの赤いばら』から15年が過ぎていた。


1日目 : 日本→タシケント


関空からウズベキスタンまで、直行便が出ている。
だがウズベクはまだまだ日本でポピュラーな国とは言えず、飛行機もガラガラだった。
ただ、平均年齢70才くらいの高齢者団体が来ていたので、「大丈夫かいなこの人ら」と思っていたら、
 「もう1回アフガニスタン行かないかんな」
 「南アフリカももういっぺん行きたいわあ」
 「だんだん行くとこなくなってきたな」
と話している強者ツアーであった。
・・・かっこいい!
私もああいうお婆ちゃんになりたい。

飛行機で8時間。ウズベキスタンの首都・タシケントに着いた。空港でビザを取り、
帰路のリコンファームをすませ出てきたら、まずうっとおしいのが白タク(交渉制タクシー)との交渉である。
タクシーと言ってもフロントガラスがヒビ割れているし、エンジンはなかなかかからないし、ひどい車である。しかもひどい値段である。いきなりボッタクられてしまった。

ホテル『マリカ』に着いたのが夕方5時。
日本から予約しただけあって、真新しい、ぴかぴかのホテルだ。
晩御飯を7時に頼んで、散歩に出かけることにした。


ギーチェ爺ちゃん


秋のタシケントをそぞろ歩く。
日本より少し寒い。
ソ連時代の産物だろうか、画一的なアパートがならんでいる。
りっぱな並木からは枯葉がはらはらと落ちてくる。
街路樹を見上げながらゆっくり歩いていると、溝と言ってもいいくらいの小川で、網を構えている男の子を見つけた。こんなドブ川にも何かが棲んでいるのだろうか。
前を歩いていたおじいさんが立ち止まり、その子と話し始めた。
微笑ましく、私はそれを見ていただけだった。
おじいさんが私に気づき、
 「ブラックバス」
と言った。
魚がいるんだ。

おじいさんはそれから、二言三言、何か言った。ロシア語なのでさっぱりわからない。
ただ、最後の「ついて来い」という身振りだけわかった。
私はヒマだったのでついて行った。
かくして、ウズベキスタン入国2時間後には、よそさまの家のキッチンでちょこなんと座るハメになるのである。

・・・おじいさんは足が速い。
いや、この国の人ぜんぶがそうだと言ってもいい。
ときどき小走りにになりながらついて行くと、「トラムに乗るぞ」と言い出した。
これはどこかへ連れて行かれる、と思い
 「時間がないから行けない」
と訴えた。
すると爺ちゃんはタクシーを捕まえ、私を押し込んだ。
・・・これって誘拐やん!
と思ったりもしたけれど、相手は老人。いざとなれば投げ飛ばせそうなヨロメキ具合である。

タクシーはせいぜい2、3キロ走っただけで止まった。
爺ちゃんはそこここの商店でケーキやパンを買いながら、なおも歩いていく。
私はロシア語会話集を開き、必死で問うてみた。
  「グチェ?(どこ?)」
答えは明瞭。
  「わしの家」
角を曲がってアパートの一階の部屋に案内された。
なにか信じられない思いで靴を脱ぎ、部屋にあがった。
・・・ベッドが2つ。
ほっとする。家族がいるんだ。
はじめに通されたのは10畳くらいの広い部屋で、居間だろう。壁にも床にも芸術的に美しい赤い絨毯が広げられていて、思わず目を奪われていると、
 「わしのママだ」
と、家族を紹介された。
爺ちゃんのママだから相当なお年だ。来客には関心がなさそうで、ずっとTVを見ていた。耳も遠いし、ひょっとしたら呆けているのかも。とりあえず挨拶だけすませ、キッチンの方に案内される。

ここでやっと自己紹介だ。
爺ちゃんの名はギーチェと言う。ロシア人らしい彫ったような鼻に、善い光のある目をしている。手の甲にはぐちゃぐちゃの模様のイレズミ。英語はほとんど単語すら通じない。

爺ちゃんは
  「一緒に食っていけ」
と、夕食の支度にとりかかった。
もちろん断ったけど、この強引な爺ちゃんがとりあってくれるはずがなかった。
献立は、
トマトと生タマネギのサラダ。
パンと甘いケーキ。
昨日のチキンをぶっかけた、うどん(ほんまにうどんだった)。
どれもおいしい。
・・・でも、お腹を減らすために散歩に出てきたはずなのに、今食べてどうするんだ。
アットホームなホテルなので、時間通り帰らなければ心配されてしまいそうである。

ギーチェ爺ちゃんはものしずかな人だった。
まあ、言葉が通じないので身振り手振りで会話するしかないのだが、国が違えばジェスチャーも違ってくる。
爺ちゃんが唇を指差すので、「旨いか?」と尋ねられたと思い、
  「旨い」
と肯くと、タバコを持ってこられた。
また、のどを指差すので意味がわからず首をかしげたら、ウォツカ持ってきて
  「飲め」
と言う。
アルコール40度の液体をストレートでグラスに注いで「さあ飲め」。
死んでしまいそうなので、さすがにこれは断った。

食事が終わると今度はトランプを持ってこられた。
でもそろそろ帰らねば、と言うと爺ちゃんは
  「ぜひ泊まっていけ」
と言う。私はまた会話集をひっぱり出す。
  「ニェート(NO)、ガスチーニツァ(ホテル)」
  「いや、泊まってけ」
  「ガスチーニツァ、ガスチーニツァ」
  「まあまあ、そう言わずに」
爺ちゃんは寂しいのだと、そのとき初めてわかった。私はめったにない来客なのだ。
いい人なのだ。申し訳ない気持ちになった。

爺ちゃんは最後に、黄色くなった古い写真の束を見せてくれた。いろんな時代の家族の肖像だ。爺ちゃんの若い頃、軍服姿がものすごくカッコよかったので
  「ハラショー!」
と褒め称えると、爺ちゃんは喜んで、いきなりほっぺたにスリスリしてきたので驚いた。
・・・ヒゲ、じょりじょり。
この写真はママの若い頃。これは息子のコーシカ。
これは死んだ祖父の葬式。
これはワシの奥さん。
でも奥さんももう亡くなっているようだった。
・・・爺ちゃんは、寂しいんだ。
私は日本の祖父を思いだした。
爺ちゃんは、寂しいんだ。だから私を家に招いたんだ。

やっとのことで暇乞いをする。最後まで泊まっていけと言われたが。
外はもう真っ暗だ。
送ってあげようと爺ちゃんは言う。
  「角を曲がって四軒目だ。角は散髪屋なんだ。タシケントに来たら、忘れずにまたおいで」
そうしてなぜか角の散髪屋に入る。
まるで時間稼ぎのように。
爺ちゃんは髪を整えて、格好つけてみたりしている。
散髪屋は楽しげに
 「ジャパン・ハラショー、合気道!」
とか言うておる。
そして3人で記念撮影をする。
約束の7時はもうとっくにまわっている。

やっとこさっとこ散髪屋を出て、道でタクシーを捕まえる。
手をとりあって、抱き合って、頬すりすりして、涙の別れというやつである。
でも私はと言えば、タクシーに押し込まれて以来びっくりしっぱなしで、わけがわからなくて、感情がついてこなかった。ただ、ギーチェ爺ちゃんがとてもいい人で寂しいんだということしか、わかっていなかった。


ホテルで


ホテルに帰ると、フロントで
  「どこに行ってたの、大丈夫だった?夕食、もうできてるわよ」
と言われた。
・・・さっき食べたばかりだ。入るわけがない。
それでも目を白黒させながらビーフカツを半分食べた。

その夜、日記を書いているといきなり鍵をがちゃがちゃさせる音がした。隣だと思ったらウチだった。
女の人(客だと思われる)がドアを開けて勝手に入ってきて
 「あ、ごめん、間違えた」
とまた鍵を閉めて出ていった。
ここの鍵って一体!?
・・・ここは笑うところだ。
と思った。
笑うよりほかに何ができるだろう。


2日目 : タシケント→ウルゲンチ→ヒヴァ

タクシー


早朝、タクシーで空港へ向かう。
フロントに頼んでタクシーを止めてもらう。空港まで約1ドル。
このタクシーもフロントガラスにヒビが入っている。今まで3台乗ったタクシー全部がそうだった。たしか空港バスも割れていたなあ。なんでだろう。
タクシーの運転手は、
  「マジかよ」
と思うほどの老齢。たぶん80は越えている。ドッピと呼ばれる四角い民族帽をかぶって、ジャージをはいたおじいさんだ。ハンドルを握る手が小刻みに震えているのがナイス。しかも、中央線寄りすぎ!
と思ったら対向車もすべて中央線ギリギリを走っていた。怖い国だ。


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