ウズベキスタン(2)


ヒヴァ


飛行機で2時間、ウルゲンチへ到着。そこからタクシーで、観光地のヒヴァへ。

 ここで少し説明をしておこう。
 ヒヴァには城壁で囲まれた「イチャン・カラ(内城)」という町がある。
 この町は、全体が世界遺産に指定されている。町じたいが遺跡なのだ。そっくりそのまま中世そのもの、といってもいい。たくさんのミナレット、メドレセ、家々の壁も、石畳も。くまなく遺跡。
 はじめてこの町を歩いた時の感動といったら、そりゃもう、アフリカの草原に匹敵する。
 これだけ期待をはずさない観光地も珍しい。
 ちなみに、宿もこの世界遺産の中にあり、民家を改造したものだった。

 メインストリートを中心に2時間ほど観光をした。
 たくさんの建築物は博物館になっており、たいてい土産物屋を兼ねていた。陳列品なのか土産物なのかわからないくらい、ごっちゃに並べられている。
 昼ごはんのあと、一眠りして、目が覚めたら6時だった。
 夕日のヒヴァを歩きにいく。
 歩くだけだ。どこも閉まっている。
 カラスの群れが飛んでいく。
 白い月がミナレット(塔)に寄り添うようにたたずんでいる。美しい。
 美しい町である。

 「ハロー」
 と女の子が英語で話しかけてきた。10才のナザカット。学校帰りだそうだ。
 写真撮って住所書いて、
 「ボンボン(キャンディ)ちょうだい」
 と言われた。
 「持ってないよ」
 と言うとあっさりあきらめ、バイバイとほかの外国人を見つけて走っていった。無邪気な商売である。


● 3日目 : ヒヴァ


夜明け


 朝、7時に散歩に出た。
 もうかなり明るくなっていたが太陽は朝焼けの色を残している。
 赤くそまった城壁や、ミナレットが美しい。
 自分の影が長く伸びる。
 東のはずれまで歩いて見た。
 静かで人気のないイチャン・カラ。まあ、昼間だっていかにもシーズンオフな雰囲気ではあるのだが。
 人通りといえば、ホウキで道を掃いているおじさんおばさんと、物乞いくらいだ。あとはシェパードがヒマそうに座っているだけ。

 散歩のあとで、朝ごはん。
 昨日の昼ごはんも同じテーブルだったオランダ人と、また一緒になった。
 彼はきれいな英語をしゃべる。いかにもヨーロッパ然とした紳士である。眼光鋭く、ヒゲの形もきちんと整え、いつもぴっちりした身なりをしている。ウズベクのほかに、  トゥルクメニスタンとキルギスにも行って16日間の旅だそうな。
 トゥルクメンはどうだと尋ねたら、たくさん感想を語ってくれたが、半分もわからなかった。英語が話せる人とも言葉が通じない私である。

 この朝は、お茶に2本も茶柱が立った。
 「日本ではこれが立つとラッキーで、ハッピーデイなんだ」
 と教えると、オランダ紳士は嬉しげに
 「ぼくのは?」
 と訊いてきた。
 1本立っていた。
 彼は今日タクシーでブハラに立つ。
 「値段は50〜60ドルと言われたが、30ドルまで値切るつもりだ。君も明日はブハラだろう?もし向こうで会ったら、またお茶でも飲もう」
 と大人の社交辞令を交して別れた。
 私は思った。
 きっちりした服装の彼だが、一体何日お風呂に入らないでいられるんだろう、と。
 この宿は「シーズンオフのため」お湯が出ないのだ。冷水シャワーはきっと風邪をひく。


ナザカット


 昼間、道を歩いていたら昨日の「ボンボンちょうだい」の女の子に見つかってしまった。ナザカットだ。彼女は土産物屋の娘で、持ち前の商魂をいかんなく発揮し、私に合計1200スム(1ドル)分もの靴下を買わせた。
 やっとのことで逃げ出せたと思ったら、
 「このメドレセの中に兄がいる、来い」
 と言って追いかけてきた。
 兄はナザカットにそっくりの少年だったが、木彫り職人らしく、
 「マナイタ、ハゴイタ、1ドル」
 なんて売りつけてくる。
 うるさいので逃げたら、小さいのを一つプレゼントしてくれた。
・・・要らんっちゅうねん。


遺跡の町のインターネット


 Eメールは家族との連絡に欠かせない。
 インフォメーションにの看板に「インターネット」の文字があったのだが、「午後に来い」と追い返された。
 4時ごろ行くと事務所のようなところに案内された。ネット中毒の私は、そこに真新しいパソコンが鎮座しているのを見ると、強力な力で惹きつけられていった。
・・・おお!遺跡の町のまっただなかにパソコンが!ウィンドウズが!しかもXPだったり!うちのより新しいバージョンやし!
 ただ、すんなりとはつながらない。電話線そのものがそう簡単につながらないからだ。
 話し中になるらしい。接続するだけで10分くらいかかった。さすがだ。


シャハルーホ


 民家の多いあたりをうろついていると、また子供につかまった。
 今度は男の子だ。シャハルーホ、9才。
 可愛いらしい子だが、ナザカットのせいで少し子供恐怖症の入っている私。また靴下を買わされるのかと怯えつつ、相手をしていた。
 彼は物売りをする代わりに、「ボクの家でお茶でも」と、自分の家に連れていった。

 なかなか凄いことだ。
 シャハルーホの家に上がりこみながら思った。
 世界遺産の町に住む。
 考えてみればこの家だって、建て直しを繰り返しながら、何百年前からここにあるのかもしれない。中庭なんて発掘現場のようである。いかにも古そうな井戸や、昔ながらの竃がある。細かい彫刻の施された木の柱が、今もなお使われている。宮殿やメドレセでも見られるようなものすごく古い柱だ。そこに洗濯ロープをかけてピンクや紫のパンツを干している。
 すごい家である。
 
 靴を脱いで上がるとたくさんの家族たちがいる。好奇の目がいっせいに私を見つめる。
・・・こ、こ、こんにちは。
 どうぞと居間へ通される。
 大きな黒いストーブと、奥にテレビ、Wラジカセまである。
 テレビに一番近い席におばあちゃんが座っており、その横に座れと言う。
・・・そこはひょっとして上座では?
 と思いながら腰を下ろす。
 TVでは白黒のインドのドラマをやっていた。さしずめ、愛と死のサスペンス・ドラマと言ったところか。小さな子供までがえげつない場面を必死になって見ている。
 TVを見ながら、おばあちゃんときれいなお母さん、少年シャハルーホと彼の妹2人で、お茶を頂く。ナンとクレープも出た。
 「ナンにコレをつけると美味しいんだよ、つけてみるかい?」
 とおばあちゃんがスプーンを差し出すので、なめてみた。
 「うっ!」
 ラードだ。

 そのうちお父さんとおじさん、従妹達もわらわらとやって来た。
 小さい子供は靴のまま上がってきて怒られたり、お茶をひっくり返したりと、大騒ぎだ。そのスキにおばあちゃんは私のお茶に角砂糖を2つも入れて、一人で喜んでいた。
 「うっ!」
 甘い・・・。

 お父さんとおじさんは、ガイドブックとロシア語の会話集を熱心に眺めていた。彼らは英語はもちろんロシア語さえほとんど話さないようだった。
 シャハルーホに、「日本の写真はないか」と尋ねられた。私がそのとき唯一持っていた「日本の」写真、それは『エリザベート』のチラシ。やっぱりタカラヅカである。
 かなり怪しげな死神・トート閣下の写真である。
・・・いやあの・・・そんな真剣に見つめられても・・・困る。
 役者だと説明してみたが、多分、通じてはいないだろう。

 同じ「家に招かれる」のでも、ギーチェ爺ちゃんと少年シャハルーホとでは根本的に違う。シャハルーホは数ドルの小銭がほしかったのだ。
 でもあの家では、とても暖かく楽しくすごせたので、現金でお礼をすることに抵抗はなかった。


4日目 ヒヴァ→ウルゲンチ→ブハラ

猫たちに出会う朝


 ヒヴァ最後の朝。
 ヒヴァの朝は静かで、きれいだ。
 何より子供の餌食になる心配がない。
 最高だったのは、ウズベキスタン最初の猫に会えたことだ。

 ヒヴァは昔ながらの煉瓦の町で、道には石畳が敷かれている。
 猫には暮らしにくいだろうと思っていたが、前日の夕方、一匹の猫が身をくねらせてレンガの隙間に消えていくのを見かけていた。きっと民家の方に住んでいるのだろう。
 早朝は静かだし、猫たちの巡回タイムだから見つかるかもしれない。
 そう思って町の南の住宅街を目指した。

 すると見つけた。いや、猫の方が私を見つけた。ミーミーと高い声で私を呼んだ。キジ猫だ。嬉しかった。
 しかし、人を呼んでおいて、近づくと
  「何?変な人」
 とばかりにビクビクして逃げ惑い、板戸の隙間にもぐってしまった。
 あーあ、と思っているうちにもう一匹。
 朝日を浴びてオレンジ色にも見える茶トラの子。この子も甲高い声で鳴きながら路地を歩いていく。
 そして1軒の前で『開けてコール』を始めた。飼い猫なのだ。
 「開けてー開けてー開けてー、ぼく帰ってきたよう、お家に入れてぇ!」
 だが、家族はなかなかドアを開けてくれなかったので、私はその間にその子を抱いたり、なでたり、さんざん遊ぶことができた。彼は何をしてもゴロゴロ喜ぶので可愛かった。
 『開けてコール』を続けること約10分。
 やっとその家のお父さんらしき人がドアを開けてくれた。
 「ほら早く入れ。おまえ、うるさいねん」
 言葉はわからないが、そう言っていたに違いない。


長距離バス


 ヒヴァとはお別れ。
 タクシーでウルゲンチへ戻り、そこから長距離バスでブハラへ向かうことにした。タクシーだと30〜60ドルするところが、バスだとたったの3ドルですむ。少しでも節約が必要だ。
 バスステーションでスニッカーズを買おうとしたら、売店のおばあちゃんが
 「それは高いから、こっちにしな」
 と怪しげなウズベク製チョコレートを出してきた。
 それでもスニッカーズを買ったら、キャンディをおまけしてくれた。

 ついでだが、バスステーションのトイレには普通にドアがなく(横の壁はあった)、「穴だけトイレ」だった。


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