ウズベキスタン(6)


夕闇のレギスタン


 午後、サマルカンドへ帰ってきた。
 グリ・アミール廟へ観光に行き、町のインターネット・カフェからメールを出し、はやめに晩ご飯を食べた。
 充実した一日だった。
 帰り道、満足して再びレギスタン広場に立ち寄る。

 夕暮れのレギスタン。
 繊細なグラデーションのなかに3つのメドレセが浮かび上がる。
 残照が、ドームを紺色に輝かせる。
 白壁を覆う細かな幾何学模様は、だんだんと広がる影にぬりつぶされてゆく。

 広場では、人々がベンチで静かに話している。
 どれだけたくさんの太陽がこの広場を照らしたのだろう。
 どれだけたくさんの旅人がこの美しさに圧倒されてきたのだろう。

 私はもう、関空のエスカレーターのところに飾られているレギスタン広場の写真を見て、恋焦がれることはない。もう人の話を聞いてうずうずすることはない。
 私は来た。
 満たされた。
 先に静かなヒヴァへ行ってしまったので、都会化されたサマルカンドに幻滅するかと心配したが、そうでもない。
 大感動こそしなかったが、それを期待していたわけでもない。
 ため息のでるような、叫びだしたくなるような達成感はない。
 ただ何かが終わった気がするだけだ。
 この薄闇のレギスタンで考えるのは、「ああ終わった」ということだけだ。
 もちろん、まだ行きたい国はたくさんある。だが、ここほど来たかった場所はないだろう。
 恋焦がれたサマルカンドだ。
 15年かかった旅が終わったのだ。
 なんだか寂しい。
 泣きたいくらいだ。

 一人勝手に浸っているうちに日が沈み、3つのメドレセはライトアップされていた。
 私は愕然とした。
 緑やら黄色やら・・・カラフルなライトに照らされたレギスタン広場は、ちょっと昔のラブホテルのような色合いになっていた。


8日目 : サマルカンド

悪夢


 イヤな夢を見た。
 夢のなかで、私は何かを触ろうとしていた。墓石だろうか。
 すると背後から「しつこい奴だな」と低い声がして、大きな犬が背中にとびかかってきた。私は大声で叫び、自分の声で目が覚めた。
 しばらくは夢うつつで、背中が重いような気がしていた。
 まったくイヤな夢だ。下痢がきたんだろうか。

 「よく眠れた?今日はいい天気よ」
 と、朝ごはんを運びながら美人の奥さんが言った。
 今日は・・・って、ここはいつだっていい天気じゃないか。
 馬鹿な私は、青空にだまされて、悪い夢をすっぱりと忘れてしまった。もうちょっと気をつけていれれば、あんなことにはならなかった(かもしれない)のに。


土産物探し


 この朝は、ずっとレギスタンで土産物探しをしていた。妹夫妻にきれいなスザニを買って帰る計画なのだ。
 中央アジア特有の刺繍・スザニは、ヨーロッパでブームを起こし、大変な価値を呼んでいるらしい。ハンドメイド、草木染め、そしてもちろん美しいことを条件に探しまわった。
 やがて、頑張った甲斐もあり、やがて見事な緑色のスザニを発見した。
 布も糸もすべてシルクだ。保存もいい。何より、模様が美しい。
 お手ごろ価格だが、日本に持ち帰って売り飛ばせば凄い値段になるだろうと、素人の私でさえわかるほどだった。
 ただ、素人の私が見てもわかるほどアンティークなものだった。
 「そう、アンティークの方が価値が高い。これは7、80年前のものだ」
 店のオヤジは得意満面だが、50年以上前のスザニは国外持ち出しが禁じられている。
 税関で見つかればアウトである。
 「大丈夫だ!税関の係官なんかちょっと鼻薬をかがせればイチコロだよ!」
 そんな危ない橋を渡るのはゴメンである。
 結局、安全かつ丈夫な新しいスザニを買って帰ることにした。


サマルカンドを歩く


 午後からも、土産を買ったり観光をしたり、一日サマルカンドを歩いたわけだ。
 だからと言って書くべきことはあまりない。
 ビビハニ・モスク?
・・・そりゃあまあ、きれいだった。
 終わり。

 でっかいバザールに行った。
・・・にせものキティだの、可愛くないピカチュウTシャツだのが氾濫していた。
 高級衣料品市場へも行ってみたが、少し可愛いピカチュウが売られているというだけの話だ。

 それから、死者の町・シャージヒンダ廟群。
 道の両脇にずらっと中世の墓がならんでいる。ひとけのない観光地だ。崩れた廟には草が生え、装飾タイルの上を砂色のヘビがゆっくりと這っていった。
 怖いくらい静かだ。足音までが石畳にすいこまれていく。
 空だけがひたすら青かった。
 今朝のイヤな夢を思い出してしまった。

 最後に、昔のサマルカンドの跡を観にいこうと思った。遺跡は荒野のなかにあるはずだ。
 人に尋ねながらいったが、ものの見事に道に迷ってしまった。焼けつく太陽のもと、ヘビの穴がぼこぼこにあいている砂漠とさして変わらない荒野を、1時間ほど歩いてようやく道へ出た。
 いつものことだと言えばそれまでだけど・・・夏じゃなくてよかった。


VIP


 夕方、もう一度レギスタンへ行こうと思った。
 もう一度、あの美しい夕暮れと、バラに囲まれた3つのメドレセを目に焼きつけておこうと思ったのだ。
 だがタイミングの悪いことに、どこぞのお偉いさんがいらっしゃるとかで、警備のために道路は完全に封鎖され、広場どころか向こう側へも渡れないという有様であった。
 へたくそな英語を話す警官によれば、
 「プルシャの大統領が来る」
 のだそうである。
 誰にせよ、夕暮れのレギスタンを独り占めするなんてひどいと思った。
 私にとっては、サマルカンド最後の夜だというのに。


悪夢の夜


 よく歩いた一日が終わろうとしている。
 疲れ果てていたので、よせばいいのにアイスクリームを食べた。晩御飯には、よせばいいのに安食堂でシャシリク(羊の串焼き肉)を食べた。
 そうして、悪夢の夜が来た。

 何が悪夢って。
 下痢にきまっている。
 だいたい、この国を旅するほとんどの人は激しい下痢に襲われるという。
 私なんかイチコロである。今まで元気だった方がおかしいのだ。
 きっと、憧れのサマルカンドだから、いつもより気が張っていたのだろう。
 それが、レギスタンで赤いばらを見、土産を買い、思い残すことがなくなったので緊張の糸が切れたのだ。もういいや、と体が思ったのだ。
・・・ちっともよくない!
 とんでもない。
 私は帰らねばならない。
 明日の朝にはタシケントへ帰り、明後日には日本へ発つのである。
 こんなところで倒れてはシャレにならない。

 しかし、あっという間に体はグダグダになった。トイレに行くのに忙しくって眠る暇がない。
 深夜に嘔吐しはじめ、ヤバイと思った時には脱水症状を起こしかけていた。いつものパターンである。
 せめて昼間なら、宿の主人に助けを求めることができただろう。近くには病院(らしきもの)もあった。
 だが今は、・・・草木もねむる丑三つ刻。
 救いの手を差し伸べてくれる人は誰もいない。

 水。とにかく必要なのは水である。
 命の水・ポカリスエットを飲まなければ!(粉末は常備している)
 手持ちの水ではとても足りない。
 水があるのはどこか?
・・・食堂だ。
 力が入らず、ほとんど歩けなかったから、這うようにして食堂へ行った。1リットルのペットボトルを発見。ノンガス・ウォーターであることを祈りつつ持って(盗んで)帰る。

 ポカリを飲んだ。がぶがぶ飲んだ。それでも吐いた。
・・・うをををを、いかん。
 トイレからベッドまで帰る2m、力尽きて床で寝てしまった。
 万事休す。

 夢をみた。
 宝塚の夢だった。
『エリザベート』の主役・死神トートが出てきて、意気揚々と歌っている。
  ♪ 今こそ出かけよう、黄泉の国へ!
・・・死ぬんか?下痢で?
私は宝塚のトート君が好きだが、死神なんて縁起でもないやっちゃな。


9日目 : サマルカンド→タシケント

さようなら、サマルカンド


 床の上で目を覚ますと、吐き気はかなりおさまっていた。
 死神に救われたらしい。
 ベッドに入って眠りなおしたのも束の間、またたく間に夜が明け、朝がやってきてしまった・・・サマルカンドを去る朝が。

 宿の主人に、食堂の水を勝手にもらった(盗んだ)話をすると、奥さんが
 「それは大変だったね」
 と言って薬をくれた。
 英語は苦手だが、いい宿で、いい人たちだった。
 いつかサマルカンドへ行くことがあれば、またティムールの宿に泊まろうと思った。

 迎えの車が9時に来た。
 一昨日のタクシーに、予め頼んでおいたものだ。
 宿をあとにして、サマルカンドを出るとき、レギスタン広場の前を通った。
 赤いバラに囲まれた美しいメドレセが3つ、朝日に輝いている。
 運ちゃんが陽気に
 「バイバイ、サマルカンド!」
 と笑って言った。
 
 ピカピカの新車は猛スピードで砂漠を抜け、並木道を抜け、綿花畑を突っ走る。タシケントまでの400キロ余りを3時間で走ってみせるという。相変わらずのスピード狂っぷり。
 ただひとつの問題は、サマルカンドとタシケントを結ぶ道が、途中25キロほどカザフスタン領を通っているということだ。
 国境と言っても、荷物検査とドライバーチェックだけ、ビザも要らないと聞いていたので呑気に構えていたら、運ちゃんが言った。
 「ビザなしか。参ったな。ウズベキスタンの警察は、何かとイチャモンをつけてお金をせびるんだ。ほとんどマフィアだよ・・・でも大丈夫、心配はいらないよ」
 そしてチェックの列に並んでいた他の車をどんどん抜かし、強引に突破してしまった。
 「どうだ、捕まらなかったぞ!」
・・・嬉しそうである。

 ここからここまでカザフスタン、と言われてもよく分からない。
 青い空と綿花畑がウズベキスタンから切れ目なく広がっているだけである。
 運ちゃんは親切に
 「写真を撮るなら車を停めるよ」
 とか、
 「カザフはウォツカの産地だ。バザールで買うと安いよ」
 とか言ってくれたが、私はそれどころじゃなかった。
 体は昨夜からずっとヘロヘロのまま。宿でもらった下痢止めが効いているものの、いつまで保つかわからない。一刻もはやくタシケントの宿で横になりたかった。


再び、ホテル・マリカ


 昼ごろ、タシケントに着いた。
 帰ってきた大都会。
 宿は、ウズベキスタン初日に泊まった『マリカ』にした。
 この体調で安宿探しなんかしたくはない。
 『マリカ』は安くはないが、清潔で親切で、トイレがきちんと流れるホテルなのだ。
 夕食はどうするかと訊かれたので、
 「体調が悪いから食べられない」
 と断ったら、さあ大変。
 なまじ言葉が通じるだけにやっかいだ。医者を呼ぶといってきかない。
 やっとのことで断ると、薬と水の入ったコップを部屋にまで持ってきてくれ、
 「今飲め!」
 と私が目の前でそれを飲むまで帰らないし、2時間後に電話をしてきて
 「どうだ調子は?効いてきたか」
 と確認までしてくれる。
 スタッフは全員、私の顔を見るたびに
 「大丈夫かだいじょうぶかダイジョーブカ」
 とを連発してくれる。
 私は大変な病人になった気がした。ただの下痢なんですが。
 いいホテルです。


10日目 : タシケント→日本

タシケント観光?


 翌朝には、少しだけ動けるようになった。ごはんも食べた。
 ギーチェ爺ちゃんに会いたいとも思ったが、タクシーで連行された家がどこにあるのか、見当もつかない。
 そこで、少しばかり街中を歩くことにした。メトロ(地下鉄)に乗って博物館へいく。
 メトロの駅には悪質警官がうようよしていて、旅行者にたかるという話だから、ちょっと怖い。
・・・しかしもっと怖いのは、駅の出入り口のドア!
 下手をすると殺される!
 ただの重いガラス扉なのだが。
 風圧の関係だろうか、ものすごい勢いで閉まるのだ。ドアが横綱級の「張り手」をしてくるようなもの。受け止めようとしても簡単に弾き返されること間違いなし。
 前の人が通ったあとですり抜けようとしたら、危うく挟まれてペチャンコになるところであった。
 「日本人旅行者、ドアに挟まれ死亡」
 なんてみっともないから、気をつけなければいけない。

 博物館から少し歩くと「ブロードウェイ」と呼ばれる大通りがある。
 ここがタシケント一番の都会的スポットらしい。歩いている人達はみんなものすごくお洒落さんである(多分)。周囲にはゲームセンターやクラブが並んでいる。遊歩道にはたくさんの屋台が出ており、ホットドッグの屋台、ポップコーンの香ばしい匂いにまじって、伝統的なプロフの大鍋、シャシリクの煙も漂う。あとは土産物屋、似顔絵屋、テキ屋。
 カラオケもあるにはあったが、オープンなもので、「道行く人に自分の歌を聞いてもらおう」というのがコンセプトらしかった。歌っているのは大概ヘタクソな人である。迷惑なカラオケもあったもんだ。

 そうして3、4時間ほど出かけただけだったが、自分の体がいかに弱っているか思い知らされた。情けない。
 ホテルにもう一泊分払い、空港へ行くぎりぎりまでゆっくり休んで過ごした。
 夜、日が暮れる頃にチェックアウト。
 「また来てね。あなたが次に来るときまでに、英語の練習しとくから」
 と、フロントの美人が微笑んで言った。
 そうだ。
 私はいつかまたきっとこの国を訪れるろう。
 今度は春に、バラの咲く季節に。
 その時には、彼女は英語がぺらぺらになっているだろう。私はロシア語もウズベク語もしゃべれないままだろうけれど。

 タクシーで空港へ向かう途中、運ちゃんに尋ねられた。
 「タシケントはハラショー(素晴らしい)だったかい?」
 私は答えた。
 「ハラショー、タシケント!」
 運ちゃんは大笑いして、私と一緒に合唱した。
 「ハラショー・タシケント、ハラショー・ウズベキスタン!」
 スパスィーバ。
 ラフマット。
 サンキュー。
 ありがとう、ウズベキスタン。



こうしてサマルカンドへの短い旅は終わった。
 初めての海外旅行から10年、私はツアーや個人でアジアを中心にいろいろな国へ行き、少しずつ自分で歩くことを覚えていった。「旅行」から「旅」へ。小心者の私はゆっくりゆっくり練習を重ねて、10年かけて、やっと自分の「旅」ができるようになった。それが今回の旅だった。
 しかし旅なんてものは、実生活にはなんの役にも立ちはしない。
 実生活では、身振り手振りで意思を伝える方法も、死にそうな下痢に襲われたときの対処法も、貴重品の隠し方も、役に立たない。
 せいぜい話のタネができるくらいだ。
 けれど私は、我が家の上にかかる月が、「月」であるのと同時に「オイモモ」であることを知っている。砂漠にぽっかりと浮かんだ月の下に、シャハラーおばさんがいることを思い出すことができる。ギーチェ爺さんの住むタシケントにも、ナザカットとシャハルーホの住むヒヴァにも、同じ月がのぼることを思い出すことができる。ウズベクだけじゃない。インドにもトルコにもタイにもメキシコにもオーストラリアにもケニアにも、この月はのぼるのだ。みんなが同じ月を見ている。私はそれを知っている。それを感じることができる。私の旅は、月でつながっている。


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