ウズベキスタン(5)



バングラディシュ


 こういうわけで、ツアーのバスに乗せてもらうことになった私(もちろん料金は払う)。
 と言っても、豪華な観光バスを想像してはいけない。ツアーとはいえ夫婦2組、たった4人のこじんまりしたもので、バスもミニバスである。

 彼らとは朝食の時にすでに顔見知りになっていた。
 奥さんがサリーを着ているのでインド人かと思って尋ねたら、バングラディシュだと言われた。私にとっては生まれて初めて出会うバングラディシュ人。
・・・で、バングラディシュって、どこ。
 服装から見てもきっと大金持ちなのだろう、世界中あちこち旅をしている様子である。
 「実は先週、バリ島へ行ってきてね」
 「バリですか!?テロで危なかったんじゃ?」
 「そうなんだよ。わしらはラッキーだった。あそこはもう『楽園』とは呼べないね、はっはっは」
 悠長なものである。
 彼らは、ウズベキスタンを大変気に入ったと言った。
 「ここの人は人なつこくていいね。子供達がすぐに『写真撮って!』と寄ってくるし。
  時間もゆったり流れているようだ」
・・・しかし私は目撃していた。昨日、彼らが子供達に襲撃されているのを。
 きっと、1人にドル札をあげてしまったのだろう。大小あわせて10人もの子供が群がり、20本の手をのばし、口々に
 「ダラー、ダラー、プリーズ!(ドルをくれ!)」
 と叫んでいたのだ。
 それを見て私は「ブハラの子って怖い」と思ったのに。彼らはのほほんと「ここの子供はひとなつこいね」なんて言えるのだ。バングラディシュ人てば寛容だなあ。
・・・ところで、バングラディシュって、どこ。


サマルカンド


 さて。
 とうとう目的地サマルカンドへ出発である。

 ミニバスは、最初1時間ほど観光地へ寄ったあと、一気にサマルカンドを目指し走りだした。
 綿花畑と電線と、砂漠の間をバスは走った。
 またしても360度の夕焼けが広がっていた。

 4時間後。
 うつらうつらしている私の耳に、ガイド君の声が聞こえてきた。
 「サマルカンドの町に入ったよ」
 顔をあげて窓から町を見た。
 ウルゲンチやブハラに比べ、サマルカンドは都会だった。車が列をなしていてちょっとした渋滞だ。バスは公園にさしかかり、日暮れ時の残照と電飾の光のなかに、ティムール王の銅像が見えた。サマルカンドを青の都につくり上げた、大王ティムールだ。

 来たよ。
 やっと来た。
 憧れの町サマルカンド。
 赤いバラは咲いているだろうか。

・・・なあんて、感傷に浸りたいところだが。
 現実はそうロマンチックにいかない。
 サマルカンドの星空を見上げながら私が想っていたことは、
 「ああ、早くトイレに行きたい」
 であった。
 バスは6時間も走りっぱなしで、1回の休憩もないのだった。
 バングラディシュの人々は、なぜみんな我慢していられるのだろうか。


ホテル・ティムール


 『ホテル・ティムール・ザ・グレート(偉大なるティムール亭)』。
 ありきたりの民家を改造したペンション風ホテル。ブハラの女将・ファティマが紹介してくれた宿だ。
 だが、
 「ファティマが連絡をくれなかったもんだから」
 と、宿の主人はしきりに恐縮した。評判がいいのか、シーズンオフにもかかわらず、4つある客室はすべて埋まっていると言われたのだ。主人のティムールはしきりに揉み手をしながら謝った。
 「ファティマはいい友達だし、かまわないんだけど・・・電話さえくれたら部屋を空けておいたんだけどね。こんな部屋しかなくて、本当にごめんなさい。」
 案内されたのは、地下の予備室だった。
 清潔だが、トイレもシャワーもまともな灯りさえない部屋だ。
 「明日になったら、いい部屋があるから!今夜一晩だけ、我慢してね。ほんとゴメンね。」
 ティムール氏は小柄で優しそうな顔立ち、そしてちょっと、おかまっぽい雰囲気のある人だった。常に揉み手なのだ。英語があまりしゃべれないので余計に恐縮しているのかもしれない。

 その晩は美人の奥さんが夕食を用意してくれた。
 居間兼食堂では、観光を終えた旅行者たちが集ってTVを見たりお茶を飲んだりしている。
 アットホームな宿のこと、あっというまに会話の輪がった。
 チェコ人の夫妻。
 ドイツ人の男の子2人。
 カナダ人の女一人旅。
 そして日本人の私。
・・・チェコ人夫妻は英語が話せなかったので、お互いがお互いを通訳しながら、宿の主人家族も交え、しっちゃかめっちゃかな会話で盛り上がる。
 私が日本人だと知ると、彼らは自分の知っている限りの日本語をならべて自慢しはじめた。「カラテ、ジュードー」「オカアサン」「コンニチハ」「チューイ」
 そこで私も、
 「ドイツ語をしってるぞ」
 と得意気に言ってやった。
 「グーテンモルゲン(おはよう)、グーテンターク(こんにちは)、イッヒ・リーベ・ディッヒ!(愛してる!)」
 これにはドイツ人もチェコ人も馬鹿ウケであった。
 世界中どこででも、ギャグ(なのか?)がウケると人は満足するものである。
 その夜は真っ暗な地下室で寝なければならなかったが、心はなんだか幸せだった。


7日目 : サマルカンドとシャフリザーブス

暁のレギスタン


 レギスタン広場は・・・サマルカンドの象徴だ。ウズベキスタンの象徴、と言ってもいいかもしれない。中央アジアのガイドブックには必ずレギスタンの写真が載る。
 童話のお城を思わせる青いドームと、白い壁。
 広場を囲む3つのメドレセが美しさを競いあっている。
 そこは私の旅の目的地でもあった。

 宿からレギスタン広場は「すぐそこ」だ。サマルカンド2日目の朝、散歩がてらに朝からレギスタン広場まで歩いてみた。
 朝日に照らされたレギスタンで私を待っていたのは、たくさんのバラだった。
 広場じゅうバラの花園だ。ピンクや黄色や、花びらが幾重にもかさなりあうバラもあれば、野草を思わせる原種のシンプルなバラもある。
 それにもちろん、真紅のバラ・・・『サマルカンドの赤いばら』も。

 実を言うと、秋も深まる10月下旬のことで・・・そりゃあまあ、ある程度、いやかなり、枯れてはいたんだけれどね。
 私のなかでは赤いバラが咲き誇っていたことになっている。


シャハラーの町へ


 この日は宿の主人にタクシーの手配を頼み、シャフリザーブスへ行くことになっていた。
 朝9時、ピカピカの新車が迎えに来てくれた。
・・・フロントガラスが割れていない!
 ちょっとびっくりだ。
 ガラスが割れていないだけあって、がんがんスピードが出るし、山越えもへっちゃらだ。ガイドブックに「2時間」と書かれている距離を1時間余りで走り、シャフリザーブスへ到着した。

 シャフリザーブスは小さな町だ。せいぜい昔の建物の名残がいくつかあるだけで、観光地としては魅力に乏しい。
 だが私は、遺跡を見に来たわけではなかった。シャハラーに会いに来たのだ。長距離バスで出会った、おしゃべりなシャハラーおばさん。彼女とは身振り手振りで何時間も会話をした。そのときに、
 「私はシャフリザーブスのバザールで働いているから、ぜひ遊びに来なさい」
 と言ってくれていたのだ。

 タクシーの運ちゃんに駐車場で待っててもらい、バザールへと急ぐ。
 バザールはいつでも混んでいるし、地面に品物が敷き詰められているような具合で、大変だ。絨毯、衣類、雑貨、肉、香辛料、チーズ類、野菜、果物、おびただしいスイカの群れ。
 シャハラーは米を売っているはずだ。
 米売り場はどこだ。

 人に尋ねつつ彷徨い歩いた挙句、ようやく穀物売り場を発見した。麻袋に入れられて米やパスタがならんでいる。
 と、
 「おい日本人!おれだよ!」
 と肩を叩かれた。
 バスで出会ったトルコ系のおじさんだった。大きな目が驚きでとびださんばかりになっている。
 「おいで、こっちだ!」
 米売り場へひっぱっていかれた。
 「シャハラー!」
 おじさんが、米袋をならべたテントに向かって叫んだ。
・・・いた!
 シャハラーは米袋のひとつに腰かけて商売中のようだったが、私を見たとたん、客も枡も放り出して立ち上がった。抱き合い、手を叩いて喜び合った。
 サッカーのカーン選手みたいなおじさんもそこにいた。
 私達はならんで米袋に座り、再会を喜び合った。

 今日、私はお土産を持ってきていた。
 携帯用カイロ。
 彼らはカイロを見たことがないようなので、またしても『地球の歩き方』の言語ページを引っ張り出し、使い方を説明する。
 「オートビュスはサウクだ。エタはイッスィクだ。」
 要は、バスは冷えるからこれで温まって、てこと。
 一つ開けて実演してみせる。
 カイロが熱くなってくると、シャハラーはどえらく驚き、
 「ラフマット、スパスィーバ」
 と、ウズベク語とロシア語で丁寧にありがとうを言った。
 このときの彼女の瞳を私はけして忘れないだろう。
 言葉はほとんど通じないが・・・言葉以上のものが通じ合った気がした。たとえそれが一瞬でも。

 それから食事に誘われた。市場の片隅にあるチャイハナで、シャシリク(串焼き肉)とスイカをごちそうになった。そういえば「今度会ったら一緒にスイカを食べよう」とバスの中で約束したのだった。
 食べていると、たくさんの人が見物に集まってきた。何をって、私を見物に来たのである。
 シャハラーは、
 「ホラズムから帰る途中で知り合ったの。日本人よ」
 と何度も何度も同じ説明をくりかえし、見物人はそのたびに
 「へええ、日本かい。・・・で、両親はご健在かね?」
 と訊いてくる。
 ウズベキスタンでは、『個人』の意識より『家族』という単位の一員であることが大事にされているようだ。両親を置いて一人旅をしている私はとんでもない親不孝者なのかもしれない。
 シャハラーは、仲間のおばさんに
 「私はこの子にウズベク語を教えたんだよ!『月』ってね!」
 と自慢していた。
 バザールの片隅、スイカ売り場のテントの上には白い月が浮かんでいた。夜にみんなで並んでトイレをした、あの砂漠で見たのと同じ月が、ここにも浮かんでいたのだった。
 私は天を指差して
 「オイモモ(月)!」
 と言った。
 おばさんは笑い、シャハラーは肯いて「オイモモ」とくりかえした。

 気がつけば、人垣がテーブルをぐるっと取り囲んでいた。そのあまりの多さに、ついにチャイハナの親父が怒りだし、
 「おらおら、うちは見世物小屋じゃねえぞ!」
 と怒鳴って見物客をけちらしてしまった。

 シャハラーも周りの人も、さんざん「泊まっていけ」と言ってくれたけれども、そういうわけにはいかなかった。
 タクシーを待たせているし宿の主人も心配するだろう。それに何より、シャハラーの商いの邪魔をするのは嫌だったのだ(既にもうかなり邪魔をしてる気がした)。
 それで彼らに別れを告げて、バザールを出た。


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