熱気あふれる市場を通り抜けると、行く手に幅広い川がみえた。
午後の光をうけてキラキラ輝いている。
聖なるガンガー。
ガンジス川のことだ。
「死体と汚物が並んでぷかぷか浮いている」
「あまりの汚さに、コレラ菌でさえ3時間しか生きられないそうだ」
えげつない話ばかり聞かされていたのだが、カトマンズの真っ黒なドブ川の後だったので、
「なんや、案外、きれいやん」
というのが最初の感想だった。
だけど・・・きれいとか、きたないとか、そんな尺度では測れないものだということにやがて気がつくのだ。
聖なるガンガーを舟でゆく。
川岸の火葬場では遺体が荼毘に付されている。
炎と煙がごうごうと空へ昇ってゆく。
一人の人間の体が燃やされ灰になってゆく。
だがインド人遺族は涙もなく見守っている。
周囲では子供や犬が無邪気に走りまわっている。
ヤギたちが遺体から落ちたオレンジ色の花飾りをおいしそうにむさぼり食べている。
燃え尽きた灰は、ガンガーへと流される。
漆黒の灰。
暗い川へと流れてゆく。
その灰が沈むひまもなく、すぐ下流では人々が日々の洗濯物を洗っている。
世界一暗いこの川で、Tシャツやパンツをじゃぶじゃぶと洗う。
その隣りは沐浴場である。
聖なるガンガーで沐浴すればすべての罪が清められるのだ。
国中のヒンズー教徒が続々と集まってくる。
祈りを捧げる男がいる。
乳房はだけて水へもぐる老婆がいる。
そして世界一清らかなこの川で、普通にシャンプーしているおじさんもたくさんいる。
夜にはプージャーと呼ばれる礼拝が行われる。
川面に花を浮かべ、火を点す。
祈りの火は、川岸のお祭りさわぎなど知らぬげに、静かに静かに水面を漂う。
・・・ああ。
また、火である。
火葬場の火と。
祈りの火と。
ガンガーは夜ごと人間のつくる赤い火に彩られている。
こうしたガンガーの営みをじっとみつめながら、水の色を表現してみようと何度思ったことだろう。
だけどダメだった。
たった3日や4日では、あの色を言葉にすることはできない。
黒と緑。
茶色と砂色。
空のブルーと雲の白。
オレンジの花。
赤い顔料。
泡だつ波しぶき。
混沌。
カオス。
すべての色をまぜあわせた絵の具の水入れ。
生と死。
聖と俗。
祈りと現実。
すべてがぐちゃぐちゃに混ざっていっしょくたに水にのみこまれ、流されてゆく。
大いなるガンガーを朝日が照らす。
そうしてまた新しい一日がはじまる。
ここではいつでも死というものについて考えざるを得ない。
輪廻とか宗教のことはわからない。
ただ、火葬場の、どことなく金臭い、黄色い煙を身体に浴びる。
パチパチ薪のはぜる音。
ポン!・・・という破裂音。
生々しい、生々しすぎてここには書けないほどだ。
人はあんなになってしまうものなのだ。
それはケニアで感じたことと対をなしていた。
アフリカの大自然の中で、死は必要なもの、当然なもの、大地にかえることだった。
土からうまれた人間は、死んで土にかえる。
そしてまた土からうまれてくるのである。
だがヴァラナシでは、人間はリサイクルされない。
死んだら一定方向に流れていくのだ。
ガンガーの一部になって流れていく。
川の流れが留まらないように、私達もまた留まらない。
かたちを変えて。
流れてゆく。
流れてゆく。
次の生にむかって。
次の死にむかって。
そんなふうに感じながら、指先をガンガーの流れに浸してみる。
色名不明な流れの水に。
ちょっと冷たい。
「そう! ガンガーの水は聖なる水。
妊婦と赤ん坊と蛇にかまれた人は火葬にできないし、そのまま流すからときどき浮かんできちゃうんだけど、それでも汚くなんかない!
GOOD WATERなんだ!
この水に触れれば心まできれいになるんだよ! ボクと一緒に沐浴しようじゃないか!」
船頭のおっさんが嬉しげに言った。
そして得々と、ヒンズー卑猥語講座を始めたのであった。
・・・おっさん、自分こそガンガーに清めてもらってこい!